埼愛キムチを購入した。
寒くなってきたからキムチ鍋が食べたくなってきたので
以前どこかのニュースで見たキムチの頒布会を思い出し注文!
届いた!これでも1ヶ月くらい待ったかな。
2ヶ月に1回やっているらしい。次は1月にあるみたい。
本場の味だと聞いてたもんだから口に合うかと恐る恐る食べてみたんだけど、とにかく美味い。
どれを食べても美味い。すごい!
袋は二重になっていて簡易な包装でありつつも清潔で丁寧な梱包なのだけど、箱を開けた瞬間からキムチの匂いがすんごい。
保存容器に移し替えるときは出汁というのかキムチの水分というのかが飛び散らないよう要注意。
とにかく美味いから、これはどんどん人に勧めたい。
さて、キムチ食べながら同梱されていた「埼愛キムチ新聞」を読む。
埼玉朝鮮学校は、2010年度から補助金の支給が停止しており、このキムチの頒布会もこの抗議運動を広める意図があるものだ。詳細は、下記のサイトから読んでほしいが、ここで目に止まったのは埼玉県知事のコメントだ。埼玉県は、いまもまだ補助金の支給に応じていないのだが、大野埼玉県知事は、自身が「ヘイトスピーチ解消法起案者の一人である」ことや「国籍を理由に差別することには反対」の立場を取ってきたことを述べたあと、不支給の理由の一つとして「県民の理解が得られない」と示している。えー。
私は以前、書いた記事(2021はじめて沖縄で子どもの貧困問題に関心を持った人が読んでほしい本10冊と次の5冊。)で、キム・ジヘ(2021)『差別はたいてい悪意のない人がする』大月書店. をおすすめしてきて。訳者のおひとり梁・永山 聡子さんの『聡子の部屋』に出たときにも、沖縄とか貧困とかを語る文脈も同じような構図があるのではないかとお話してきたんだけど。自分を「支援者側」に置き、対象者を操作可能なものとして扱おうとするという構図が、相手を差別的に見ているという点までだったかもしれない。私の射程はまだまだ狭かったのではないかと振り返ってしまった。
最近、基地問題について安里長従・志賀信夫(2022)『なぜ基地と貧困は沖縄に集中するのか? 本土優先、沖縄劣後の構造』を読んだ。そこでは辺野古の基地建設をめぐる「本土の理解が得られない」言説が差別的だという主張をしている。「マジョリティの理解が得られなかったら、マイノリティの自由は制限してもよい」という態度に対して、自由の平等を求めるという主張だ、と私は認識している。
差別構造の類似性について、権利の侵害、自由の抑圧まで射程に入れて議論できていただろうか。
デジャブかなと思うくらいの、似たような言説を見て、「差別はたいてい悪意のない人がする」ってホントだなって思っちゃったって話。
■参考サイト
・誰もが共に生きる埼玉県を目指し、埼玉朝鮮学校への補助金支給を求める有志の会
・Facebook 誰もが共に生きる埼玉県を目指し、埼玉朝鮮学校への補助金支給を求める有志の会
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